『推し』がいる人が羨ましい

『推し』がいる人が羨ましい

最近では「推し」という言葉や文化がすっかり定着しましたね。アイドル、アニメキャラ、俳優、Vtuber、何かしら「推し」がいる人の話を耳にすることが多くなりました。私自身、「推しっていいな」と羨ましく思うことがあります。

決して推し文化を否定するわけではありませんし、皮肉でもありません。むしろ、人生に張りが出て、夢中になれるものがあるのは素晴らしいことだと感じています。何かに没頭できるって、ストレス解消や心の癒しにもつながると思いますし。


妻の推し活動を見て感じたこと

私の妻はアイドルやタイ俳優に夢中です。洗面所でドライヤーをかけながらイヤホンを付けてタイドラマを視聴している姿を見かけると、若干引いてしまう自分もいますが、同時に「ここまで夢中になれるものがあるのは羨ましい」と感じることもあります。

彼女にとって、推しの存在が日常に彩りを与えているのは間違いありません。推しのライブやイベントがあればそのために仕事を頑張り、ドラマを見れば元気が湧いてくる。そんなエネルギーの源があるのはいいなと思うのです。


自分には推しがいない…本当にそうか?

さて、私には推しがいないのか?と改めて考えてみました。

過去を振り返ると、一番最初に浮かぶのは「ドラゴンボール」の孫悟空。子供の頃、私は悟空が大好きでした。悟空こそが世界最強だと信じていましたし、少ないお小遣いを握りしめてドラゴンボールのカードガチャを引いていた記憶があります。

そう考えると、あの頃は立派に「推し活」をしていたのかもしれません。悟空が戦う姿に興奮し、夢中で応援していたあの頃…。あれが私の最初で最後の推しだったのかもしれません。


大人になってから推しがいなくなった理由

元々アイドルには元々そこまで興味がなく(「可愛いな」と思うことはしょっちゅうありますが)、アニメキャラや漫画についても、好きなキャラや作品はたくさんあるものの、熱狂的に応援したりグッズを買い集めるといった経験はほとんどありませんでした。

推しキャラへの投票のために何冊も同じ漫画を購入したり、イベントに参加するために遠出したりするような、あの熱意には憧れを感じますが、どうも自分には向いていないようです。

それでも、もし自分に「推し」がいたら…きっと日々の生活に張りが出て、もっと元気が湧いてくるのかもしれません。


推しは「自然と出会うもの」なのか?

これまで私は、「推し」というのは自然と出会い、気づいたら夢中になっているものだと思っていました。けれど、最近はそうではないのかもしれないと思うようになりました。

自ら新しいジャンルを探求し、「この人(キャラ)を推しにしよう!」と決めてから熱中していくケースもあるのかもしれません。興味の入り口が小さくても、応援しているうちにどんどん好きになっていくというパターンですね。

ただ、私がVtuberにスーパーチャット(投げ銭)を送る姿は想像できないし、正直そこまでの熱量を持てる自信もありません(笑)。


推しの力が支えるエンタメ業界

それでも、熱狂的なファンたちがアニメやゲーム、アイドル業界を支え、経済を回し、次々と新しいエンターテイメントを生み出している事実には感謝しかありません。自分には縁遠いと思っていた推し文化も、こうして考えてみると間接的に楽しませてもらっているのだなと気づかされます。


いつか自分にも推しが現れる日が来るかも

「推し」は、きっと誰にでもいるものだと思います。もしかしたらまだ出会っていないだけで、これから先、何かや誰かに夢中になれる瞬間が訪れるのかもしれません。

今は、妻の楽しそうな推し活を羨ましく眺めつつ、自分自身の「推し」と呼べるものにいつか出会えることを、ちょっとだけ期待してみようと思います。


まとめ
推しがいる人生は羨ましいし、素敵だなと感じます。でも、推しの見つけ方や関わり方は人それぞれ。これからの人生で「推し」を見つける旅をするのも、面白いかもしれませんね。

皆さんにはどんな推しがいますか?コメントでぜひ教えてください!